子供の看取りと大人の看取りを対比に描かれていました。
結構ヘビーな話題でしたが丁寧に描かれていました。
お子さんの看取りのいうのは医療者側の対応として正解わからないですが、しこちゃん先生の対応は教科書のように見本となるものだったと思います。
南ちゃん(大人の看取り)
生きるのを諦めたわけではなく、死を受け入れている南ちゃん。
しこちゃん先生はまさか自分の母親を失ってしまうとは思っていない。
南ちゃんとしこちゃん先生の間には気持ちに「差」がある。
何歩も先を歩く南ちゃんに追いつければいいんだけど。
圭吾くん(子供の看取り)
圭吾くんが何度も頑張れているのは、しこちゃん先生見せてくれた生きる希望があったから。圭吾くんのお母さんが看取りへ進めたのは、「やれることはやったと思えた」から。
植野先生の言葉は医療従事者への講習の教材なのだろうか?というくらい芯をついた言葉。
ただでさえ苦しい思いを繰り返しているのに、真実を伝えるのは酷すぎる。
しこちゃん先生の説明は、本当に満点だった。
ありがとうしこちゃん先生。
「家に連れて帰りたい」というお母さんの選択。
お母さんありがとう。
中々できない選択。勇気のいることだけど。子供にとっては幸せな選択。
意識がなくても耳は聞こえている
大人の場合でも子供の場合でも言えることで、意識がなくても聞こえているというのは医療従事者間でのセオリーです。
ちゃんと配慮していることを表現されていて、きめ細やかなリアルでした。
諦められる時間をください
「母ちゃんと離れることを受け入れられる時間をください」
「いいよ」とすんなりOK出した南ちゃん
しこちゃんのわがままをすんなり受け入れた南ちゃん
しこちゃん先生が南ちゃんに近づいた証拠。
頭ごなしに「生きろ」と生を押し付けて来なくなったから受け入れたのかな?南ちゃん。
ありがとう。しこちゃんに時間をくれて。
人は必ず死ぬのだが、受け入れるためには準備が必要。
確かにやれることをやれたと思えることが大切。
私も職業柄たくさんの方の旅立ちに立ち会わせてもらいました。
ご本人もご家族もお見取りに向き合えるそんな見取りは最高に素晴らしいです。
最後に:南ちゃんの今後が気になる
ひとまず、しこちゃん先生のお願いで東京の病院に行くことになった南ちゃん。
南ちゃんはまだ、頑張れそうに見れるけど体の中身は限界なのですね。
二人にとっていい着地点が見つかりますように。